1950.05〜 京都伏見 元酒屋店の三男として生まれる(7人兄弟の末っ子)。生家の近くに大工さんの作業場がありました。子供にとって職人さんは憧れ。かっこいい!どや!長いやろ!カンナ屑の長さは日本一。おっちゃんとチュチュロちゃんは友達。大工さんのおっちゃんは、眉毛が濃くて、熊のように大きな人。身体をゆすりながら、いつもにこやかで、子供が好きだった。大工さんが作業場にいるときは、日が暮れるまで傍にいて、仕草を眺めていたようです。
 ちなみにおっちゃんは(テツゾウちゃん)と発音しづらかったらしくて 「チュチュロちゃん」と中学生の頃まで呼ばれてました。なんとなく建築に対する憧れの発端はこの頃なのかも知れません。 かっこいい大工さん。

1966.03〜

勉強嫌いの私でも大工さんになりたくて伏見工業高校建築科になんとか入学。規矩術(きくじゅつ)に触れ、先人の凄さを思い知らされる。すばらしい先生に出会えた事が財産。設計課題の図面 提出の借金ありながら、不順にも懸賞の商品目当てで、学生設計コンペに没頭の日々。
 この頃、画家から手ほどきを受け油絵を始めて描くうちに、そんな絵を買ってくれる奇特な方たちとの出会いがありました。チュチュロちゃんは有頂天。もはや天狗で、根拠もなく変な自信さえ持っていて、半年かけて製作した100号の油彩を、大胆にも内緒で京展に応募する暴挙に出てしまいました。当然ながら二次審査であえなく落選。高かった鼻は、もはや見る影も無くペシャンコどころか、めり込んでしまいました。落選作を引き取りに、美術館の地下倉庫へつづくスロープで、愚作を運ぶ足取りは重く、涙は堰を切ったように溢れて止まらず、何とか悟られまいと無駄な抵抗をしてました。搬出を手伝ってくれたのは幼い頃からの友人。眉毛が濃くて、熊みたいにでかい人、心もでかい、憧れの大工さん。言葉は何も無く、キャンバスを軽トラックに結んでくれて、私にはにこやかで何時も優しい。荷台の上で揺られながら、再びこぼれるものをぬぐいもしなかった若い頃が蘇ります。高校2年の春。


1969.03〜

伏見工業高校建築科をなんとか卒業。夏休みに恩師の紹介で大阪の設計事務所にアルバイト、居心地良くてそのまま居座り 就職させて頂く。


1969.04〜 大阪万博の頃、澤井建築事務所に強引に勤務。澤井明先生に師事。建築設計の面 白さを教えていただく。先生は建築家であり、二科展に出品する画家でもあった。先生の許しを得て京展落選の悔しさからデッサン、クロッキーを本気で始め、2年後再挑戦の下見を兼ねて会期中の美術館へ行きました。そこは実力ある画家の作品が眩しい世界。その中に、わずかに新人の登竜門として開放されている京展。初入選の作品は力作で、さすがだった。その中に変な絵、古キャンバスに、おつゆ描き。普通なら通り過ぎてしまうのに、ただ、名前だけは、はっきりと見覚えがある画家の奥様作。何で?これが入選なの?頭が混乱して、良し悪しの尺度を見失ってしまいました。自分は絵画では無能だと気づく瞬間でもあって・・・何も伝わって来なくて、審査員も変やなぁ〜。その時の受け止め方は、青い青い青春の頃の感覚ゆえ、お許し願って、確かには、これを期に油絵の筆を置く事にしました。結果的には、多分それが幸いしてようやく建築設計にのめり込む基点となったようです。・・・22歳春。

その後、どっぷりと建築設計の世界に入り込んで行き、京都から大阪の移動時間さえ惜しくなり、内緒で寝袋を持参して泊り込んだ日々が懐かしい。焦りがあって、早く早く建築を知らないと早く早くと掻き立てられるような感覚に支配されていた修行の時期でした。事務所の業務は、住宅と店舗建築設計デザインが中心の意匠系の設計事務所。依頼のあった物件は大袈裟ではなく100%繁栄店でもありました。梅田の知暮里・友栄寿司・おとわ寿司・333・などの大型店舗から、和食・割烹・各種飲食店からアミューズメントの用途まで抜群のセンスでありながら師匠はいつも謙虚。 いろいろとご迷惑をかけた10年間。不祥の弟子でありました。

1979.04〜 林デザイン事務所開設。とは、聞こえも宜しいが、分けもわからず、恥ずかしながら、独立と言うには、ほど遠く、お仕事も無く、無茶な始まりではありました。

1981.04〜

現在の一級建築士事務所 林建築デザイン事務所に改名。


1983.03〜

師の媒酌で結婚。君が最初で最後だとおっしゃって、引き受けて下さった。


2003.03〜

本HP開設。 インターネットがご縁で、仕事をさせて戴くことが増えてきました。今までなら、日本地図を頭に描き、遠い、近いと思っていたのが、今ではその距離感は麻痺してしまい、昔なら遥か遠方と思う地域の方と仕事の話を平気でしている。現場は近くにあるような錯覚さえ覚えます。やはり、ネット利用でメールの送受信の力は大きい。現場写真が瞬時に届く凄さは距離感をも変えてしまったようです。

設計者の一人前は70歳からだという・・・                          それが本当なら是非その年まで現役でやっていたい。                    そして、一人前なるものを体感してみたい。                         未だ発展途上、現在に至る。

コラムのページはこちらで掲載させていただいています。門出からはじまり、だらだと130程を超えました。宜しければご覧下さい。アドレスはこちらです → 
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  家人は私の仕事にはちょっと辛口の評論家。バランス感覚がするどい大阪は堺産。「まちの設計屋さん」の理解者でパートナー。 子供は男が2人で、共に大学生活をそれなりに楽しんでいるようです。落ちの無い話など、我が家ではご法度。奴らのツッコミが厳しく、話のオチをイメージしてないと(しらこい)目で返してくる。さすがに関西、家庭内限定夫婦漫才コンビとしては話のネタに注意をはらっている。

 HPを立ち上げたとき、長男も参加させろとラーメンのページを作ったものの、更新は一回きりで休眠中。ラーメンブームも冷めたから、私が更新してみようかと今は思っています。まぁそのうちに。
兄弟は3歳違い。今も仲が良く、会話の多い兄弟である。授業料とかは、それぞれアルバイトをして工面しているようで、何故かB'zに入り込んでいてライブには何回と無く足を運んでいるようで、やはり私にはハードロック系と、楽器のような高音域の声には違和感があり、コブクロかdoaなら何とか・・・まぁ特に親の負担が少ないのは何よりである。長男は、当初、滋賀県の大学に通っていて、駅前のバイトで受験生に何やら数学を担当していて、その受験生が努力して希望校に入学できた事が余ほど嬉しかったらしくて、自分の方向が少し見えてきたと言い出しました。何と、数学が楽しい?などと異星人のようなことを言い出す始末。まぁ・・・好きな事が見つかったのなら良い事だし、賛成したのでした。
今は大阪に通学しております。そんな事で、3歳違いの兄弟のはずが、共に来年は3回生を迎えます。
何年いくねん!。

次男は中学より卓球を続けていて、シャイで私に似合わず男前みたい。滋賀まで通学して物理を学んでいます。今でも黙々とラケットは振っていて、卒業した高校卓球部のお世話をさせていただいているようで、それぞれ健康にしております。


何度か聞かれた事がありました。
子供さん!大きくなって、設計の道に進むんでしょう。・・・・

息子たち、それぞれに好きな事が見つかって良かったなぁと思っております。
自分で決めたこと。好きな事で生きられるのなら最高です。
もし、見つからなくて、手探りだったとしても、私は決して自分がしているこの仕事をやってみないか? とは、決して言わないと決めておりました。

もしかして、奴らが建築設計がやりたいなどと言い出しでもしたら、どうしようかとも思っておりました。確かに一言では伝えがたい最高の瞬間があります。それが忘れられずに、またこれしか知らないから続けていますが、その最高の瞬間に出会えるまでには、膨大な時間を思うと、本当に好きでないと、あまりに辛いのだろうと思います。

そして、好きなのだと、きっと自分に言い聞かせないと・・・

やはり親なんでしょうか。そう、多分、設計などやめておけと云うのだろうと思います。私が独断で思う設計者の出発の起点とは、学校で学んだ後、10年後ぐらいなのだろうと思います。34、35歳なのでしょうか。知るところの設計事務所とは、薄給で、いただいた報酬の大半は、知らなければいけない図書費に消えてしまい、生きていくのが精一杯の世界。それはそうですよ、勤めさせていただけて能力も少ないのに報酬までいただけるなんて厚かましい。それとは裏腹に、やはり能力は棚に上げ、不満が噴出するのかも知れない。何処までも好きでないと続かない、辛くなっても好きだと自分を洗脳していないと逃げ場がない。それでも楽しいのか?と、もう一人の自分が言ってくる。
同じ年代の若者と同じ時を生きるなら、やはり相当違った青春の日々を過ごすことになるのは明らか。少しその世界を知っている私は、承知で設計の世界に入らないか!とは決して言えないお父ちゃんです。

テレビドラマの若き建築家のような華やかさなど、ほとんどありえない。もっとも、私の様な凡人がプロを目指す時の事ですが・・・

でも・・・ほんの少し寂しいのかな?・・・

  家族が一番。仕事が2番。昔、どこかで聞いた泥臭いフレーズ。「まちの設計屋さん」は2番も大切に精一杯の心をこめて住まいづくり、店づくりの設計のプロとして、独自の規矩術(きくじゅつ)をもって表現して参ります。

 設計をしていて最高の瞬間とは、
仕事を完了して数ヵ月、アポイントもなく突然に設計させて戴いた建物に寄せていただく時、住まいからは暖かい白熱灯の光がこぼれ、子供たちの笑い声が聞こえてきたならどうですか、そしてお会いしたら以前と変わらぬ優しい笑顔なら、それはそれは設計をしていて良かったなぁと感じる誇らしい瞬間なのです。
暖かい家族で優しいお母さんで、心の通ったお父さんで、可愛い子供たちから、いい設計ありがとうって言ってもらえたらどうしましょう。もう設計の仕事しか考えられないのですよ!!。
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